小杉湯

and recipeプロデューサー

小池花恵

お笑い芸人や糸井重里さん、写真家・幡野広志さんなど、23年にわたりさまざまな人のマネージャーを務めてきた小池花恵さん。現在は「and recipe」という会社を立ち上げ、料理にまつわる仕事にも取り組む。ハレ舞台に立つ誰かを支え続けてきた小池さんの歩みと、高円寺という街、そして小池さん自身のハレ舞台のこと。

ことのはじまり


高円寺の商店街をとおりぬけた冬の風が、銭湯を出た人びとの火照った頬をひんやりと撫でてくれるような2020年1月のある日、私たちのもとに一通のメールが届いた。

「メールが少し長くなります。すみません」
という前置きのあと、次のようなことが書かれていた。

その方が、小学校から高校までの12年間、高円寺にある「光塩女子学院」に通っていたこと。
その後、新卒で吉本興業に入社し、芸人さんたちのマネージャーを7年務めたこと。
吉本時代の先輩のご縁から、「株式会社ほぼ日」で糸井重里さんのマネージャーとして10年活動したのち、39歳で「ほぼ日」を卒業し、「and recipe」という小さな会社を料理家の方と一緒に立ち上げたこと。

そして現在は、料理にまつわる仕事に加え、写真家のマネジメント業務をおこなっていて、「写真家・幡野広志さんと神父である大西勇史さんのトークイベントを、小杉湯で開催することができないか」と思い連絡をした、ということ。

「小杉湯さんでお客様が体験する
『ケの日のハレ』の中に
大西神父と幡野の対談を混ぜていただくことが
できたりするものでしょうか。」



2022年2月現在まで、新型コロナウイルスの影響によって、小杉湯でのトークイベントは実現することができていない。けれど、私たちはその方、小池花恵(こいけはなえ)さんのメールに感動を覚えたのだ。メールやSNSなどで、形式的なやりとりをすることがあたり前のようになっている日常の中で、小池さんの文章はどこか人の体温を感じるようで、「ケの日のハレ」を感じさせてくれた。

こんな文章を届けてくれた小池さんは、一体どんな方なのだろう。そして、小池さんにとっての「ケの日のハレ」とは、どんなものなのだろう。私たちは、小池さんを小杉湯に招いて、話を聞いてみることにした。

長い文章になるので、取材をとおして僕らが得たものをさきまわりして書いておくことにする。これまで小杉湯では、「日々の延長上で味わえるようなちょっとした幸せ」がある場でありたいという願いも込めて、「ケの日のハレ」という言葉を使ってきた。しかしこの取材をとおして、まるでおでんに味が染みるように、「ケの日のハレ」という言葉にさらに深い意味を感じるようになったのだ。

そんな、私たちが小池さんと高円寺で過ごした1日と、おでんの思い出を、すこし振り返ってみます。


高円寺歴12年。でも、小杉湯のことは知らなかった


わたし、高円寺に12年通ってたんですけど、小杉湯のことは知らなかったんです。すみません。こんなわたしが『ケの日のハレ』に登場させていただいて良いものなのでしょうか…。




高円寺駅から小杉湯まで向かう道すがら、小池さんはコンパクトカメラを片手に興味深そうに街並みを見渡していた(カメラは、毎週更新するエッセイで使う写真を撮るために持ち歩いているらしい)。

通っていた光塩女子学院は南口のほうにあるんですけど、わりと厳しくて。小学校から高校まで、学校の帰りに買い食いしたり、商店街で遊んだりしているのが見つかると、怒られたんですよ。だから、北口側は行ってみたいのに、なかなか行けない場所だったんです(笑)。




小池さんにつられてきょろきょろとしながら、私たちは「小杉湯となり」にたどり着いた。ここで、小池さんのお話をじっくり聞かせてもらおう。



小池さんの現在の仕事は、ひとことで説明することがむずかしい。料理家・山田英季さんと結成した料理ユニット「and recipe」で、レシピ開発、ケータリング、飲食店プロデュース、旅と食をテーマとしたWebコンテンツ制作、書籍・キッチン道具の通信販売事業などを行っているそうだ。

けれども「食」というテーマに特化して活動しているわけではなくて、冒頭で書いたように、川島小鳥さんや幡野広志さんといった写真家のマネジメントもおこなっているし、「SAKRA.JP(サクラ.ジェイピー)」というメディアでは、毎週土曜日更新のエッセイ「こいけはなえの気になるもの。」を書いていたりする。ユーモアたっぷりの文章で日常のあれこれがつづられていて、くすりとさせられると同時に、美味しそうなものが紹介されていて、読んでいるとお腹が空いてくる。



そんな小池さんが小杉湯のことを知ったのは、マネジメントを担当する幡野広志さんと、神父である大西勇史さんのトークイベントの会場を探していたときだそうだ。

公民館や教会も検討したんですけど、少し違うんじゃないか、と思って。どこにしようか悩んでいたとき、ちょうどTwitterで小杉湯のことを知ったんですよ。インタビュー記事をいくつか読んで、『こんなおもしろい場所が高円寺にあったんだ!』って、びっくりして。『ここでトークイベントをやりたい!』って、閃いたんですよね。小杉湯だからこそ出てくる話がきっとあるんじゃないかな、と思って。

おもしろいことは、「ありのままでいられる場所」で生まれる


小池さんが小杉湯と出会い、「閃いた」のは、新卒で入社した吉本興業で芸人のマネージャーを務めた経験があったからかもしれない。

芸人さんたちと銭湯って、実はすごくご縁があるんじゃないかと思っていて。駆け出しの頃は、風呂なし物件に住んでる人ももちろんいます。銭湯に行くお金も節約して、コインシャワーで我慢してるような方もいた。だからこそ、芸人さんにとって銭湯に入ることって、日常の中でもちょっと特別なことなんじゃないかって感じていたんです。一人で行く銭湯もそうだし。恋人や後輩芸人さんと銭湯に行く道すがら、話していた夢もきっとあるんじゃないかと。

以前、小杉湯の菅原理之があるインタビューで、「小杉湯の価値は、あるべき姿ではなく、ありのままの姿で生きるための場を提供する場であること」だと語ったことがある。その言葉に、小池さんは共感したという。

「ありのままの姿」にも、ふたつあると思うんです。ひとつは、無理をしていないとか、なにも飾っていない状態。それは、一人でいるときの方が多いと思う。だけどもうひとつ、誰かと一緒にいるからこその「ありのままの姿」もある気がするんですよね。



誰かと一緒にいるからこその「ありのままの姿」。人がそうした状態でいるときに、本当におもしろいアイデアが生まれるのだということを、小池さんは芸人のマネージャー時代に実感してきた。

わたしが吉本興業にいた時代は、まだコントの番組がたくさんあったんですね。芸人さん、放送作家さんとディレクターさんが楽屋や会議で雑談をするなかで、コントのキャラクター設定が生まれていく場合ももちろんあるんですが、そうじゃない場合もあって。

長い収録の合間、出番を待つ芸人さんたちがスタジオの前の前室という場所で待機をしているんです。そこは、メイクさんやマネージャー、番組のスタッフの方もいるから、程よく観客がいるような場になっていて。そんな前室に集まってくる芸人さんが、ふざけたり、歌を歌ったりしているうちに、自然とコントの設定に入っていたりするんですよ。

そんな場所で、奇跡が生まれる瞬間が時折あって。カメラは回っていないのに、芸人さんたちもウケるからテンションもあがっていく。それを見て、わたしたちが大笑いする。息ができなくなるんじゃないかってくらい笑うこともありました。そこで生まれたものが、実際に番組の企画になっていくんです。もちろん放送された番組中のコントもおもしろかったけど、たぶん前室のあの時間が一番おもしろかったと思います(笑)。



きっとその前室という場所に、本番中のような「こういうふうに振る舞わなければ」というプレッシャーはない。けれども、誰かの目線はある。だからこそ、自分が持つものを発揮して誰かを喜ばせようとするし、また別の誰かも同じように、自らの持つもので誰かを喜ばせようとする。そうやって、一人ひとりの可能性がさらに開かれていく。

前室は、そんな「ありのままの姿」と「ちょっとした誰かの視線」があるからこそ、おもしろいことが生まれるのだろう。それは言葉をかえれば、テレビの収録や劇場といった「ハレ舞台」を裏で支える場所、といえるかもしれない。そして銭湯もきっとそんな場所なのではないかと、小池さんはいう。

銭湯にいるときって、家で1人でお風呂に入ってる無防備な自分とはちょっと違うじゃないですか。周りに人がいるから、どこか誰かの存在を意識している部分もあって。もちろんそれをストレスに感じることもあるかもしれないけれど、いい具合に誰かの存在を意識するからこそ、「こうありたい自分」を意識していられる場所なのかもな、と思っています。だから、スタジオの前室とちょっと近いところはあるのかもしれないですね。


ラジオとテレビがきっかけで、「いつか自分もおもしろいものをつくりたい」と思うように


マネージャーという、ハレ舞台に立つ人を支える仕事を23年間してきた小池さんの歩みを、また高円寺の街を歩きながら聞いてみることにした。



小池さんがエンタメの世界に興味を持ったのは、ラジオとテレビの影響が大きかったという。

光塩女子学院に通っていた小学生の頃から、ラジオがすごく好きだったんですよ。『オールナイトニッポン』も、ウッチャンナンチャンさんとかビートたけしさんとか福山雅治さんがパーソナリティをやってて、すごくおもしろくて。あと、テレビも好きでしたね。『夢で逢えたら』っていうバラエティ番組がおもしろかった。ダウンタウンさんとウッチャンナンチャンさん、清水ミチコさん、野沢直子さんが出てて。芸人さんとミュージシャンが一緒に演奏するコーナーもあって、大好きでしたね。



ラジオやテレビに触れるなかで、「自分も、おもしろいものを作って人を喜ばせる仕事がしたい」と思うようになった小池さんは、高校卒業後、日本大学芸術学部の放送学科に入学する。脚本家・俳優の宮藤官九郎さんや放送作家の小山薫堂さんなど、多くのマスコミ関係者を輩出してきた学科だ。

大学時代に小池さんは、すでにマネージャー的な素質の片鱗を見せていたらしい。

学園祭の実行委員の中で「総務」をやっていたんです。総務の役割は、どこの部活がどの教室を使うかや、どこの教室に椅子や机がいくつ必要で、何をどこから移動してくるか、いらないものをどこへ移動するかといったことを、片付ける時の効率も考えながら調整したりするんです。それが、地味な作業なんですけれど、わりと面白くて。

学園祭の前に荷物を移動する段取りを組んで、各部活に連絡して。使わない教卓や机を出して、中庭に運んで…みたいな。宴の前の興奮からか、机や椅子を運んでいるだけなのに、なぜかその大移動が盛り上がるんですよ。楽しかったですね。今思えば、当時から裏方。表に出るよりは、そっちが好きなんでしょうね。



吉本興業、ほぼ日でマネージャーを務める


大学を卒業した小池さんが就職したのは、就職活動で最初に内定が出た吉本興業だった。それから7年間、小池さんは芸人のマネージャーを務めることになる。

芸人さんのマネージャーをやってると、母親のような気持ちになってくる瞬間もありました。芸人さんの給与明細をみて、「これじゃ家賃が払えないよなぁ…」「今月は美味しいもの食べれるな、よかった!」みたいに、一喜一憂して(笑)。「今この芸人さんにこの言葉を言ってしまったら、この先の人生が変わってしまうかも」みたいなこともあるので、勝手に人生を背負ってる感覚はありましたね。



吉本興業の先輩で、退職後「株式会社ほぼ日」に就職した先輩から声をかけてもらい、吉本退職後は糸井重里さんのマネージャーを務めるようになった。

ほぼ日では、糸井さんのスケジュールを調整する役でもありましたが、コンテンツにご出演いただく方のキャスティングなども担当していたんです。ほぼ日って、誰かが本気で「おもしろい!」と思ったことは、チームでなんでもできる会社で。なおかつ読者の方を楽しませる企画でなければならないので、実現するまでにはいくつか関門はあるんですけれども。

たとえば、2008年に「ほぼ日の睡眠論」という特集をやったんですね。その中の「ザ・グレートスリーパー」という企画で、編集担当の先輩とどんなキャスティングがいいか雑談をしている時に、ぱっとわたしが「おもしろいのでは!?」と思いついたのが、「寝られない人」「寝坊して遅刻してくる人たちをどうにかしなければならない代表」として、吉本興業の先輩に出てもらうこと。

実際にコンテンツを作ってみると、期待を裏切らず。先輩は、アートディレクターの安西肇さん、スチャダラパーのアニさん、ボーズさんと共に、めちゃくちゃおもしろいお話を聞かせてくれました。

気仙沼で触れた、おもてなし


22歳で吉本興業に入ってから、ずっとマネージャーの仕事を続けてきた小池さんだったが、その後のキャリアについて考えるきっかけとなった出会いがあった。ほぼ日に勤めていた2011年6月に、東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼を訪れたときのことだった。

ほぼ日としては震災直後、代表である糸井重里さんをはじめ、何人かが被災地を訪れていたが、小池さんはそのコーディネートをしただけで、現地に訪れることはできていなかった。しかし、被災地の様子を自分の目で見てみたいと考えた小池さんは、何人かの知人と一緒に、プライベートで訪れることにしたのだ。


(写真提供:小池花恵さん)
(いずれも写真提供:小池花恵さん)

気仙沼では、ニュースで見たような光景が目の前に広がっていることに、言葉を失うような気持ちでした。

そんななかで、「斉吉商店」さんという、大正10年創業の水産加工会社を最初に訪れたんです。聞けば、斉吉商店さんは、工場も店舗もご自宅も全て失ってしまったと。わたしたちがお邪魔させていただいた時は、高台にあったため震災後も建物が住める状態だったご親族のお家で、みなさん生活をしていらっしゃいました。

そんな斉吉商店さんでは、加工用の魚を入れておく冷蔵庫が見つかって、その中に冷凍のさんまが食べられる状態で残っていたようなんです。そのさんまって、本当に貴重なものなわけじゃないですか。そんな大切なさんまを、わたしたちに「どうぞ、召し上がってください」と出してくれたんですね。それがありがたくって。家族の皆さん、私たちにたくさんお話をしてくださいました。あんなに大変な状況のなかでも、気仙沼のみなさんは「いらっしゃい!よくきたね!」って、心から本当にあたたかく迎えてくださったんです。

(写真提供:小池花恵さん)
(写真提供:小池花恵さん)

「自分は、どうやって恩返ししていけるかな」




自らが厳しい状況の中でも、「誰かのためにできること」を考えて行動する人たちのあたたかさに触れて、小池さんのなかにある感情が芽生えていった。

気仙沼のみなさんが、あんなに大変な状況の中でわたしたちをもてなしてくださったように、自分は周りにいる誰かに対して何ができるんだろう?という気持ちを持つようになったんです。

思い返せばほぼ日でも、代表の糸井さんは乗組員(筆者註:ほぼ日では社員のことをこう呼ぶ)のみんなや、もちろんその後ろにある家族の生活のことまで考えていらっしゃった。自分で会社をつくるって、周りにいる誰かに対して何ができるかを考えることなんだろうなと。だったら、わたしも、そういう責任を持つことにチャレンジしてみたいな、と思い始めました。



「何か自分で事業を始めるならば、30代のうちに決断しなければ」と、小池さんは39歳でほぼ日を卒業。料理家・山田英季さんと「株式会社and recipe」を立ち上げた。2015年11月の立ち上げから、2022年に7年目になる「and recipe」は、企業のオリジナルレシピ制作や飲食店舗のプロデュース、写真家のマネジメントなど、多岐にわたる事業を手がけ続けている。

小池さんと一緒に高円寺の街を歩き、その話に耳を傾けながら、思った。もしかしたら「and recipe」は、ハレ舞台に立つ誰かを裏方として支え続けてきた、小池さん自身にとってのハレ舞台なのかもしれない。

言われてみれば、そうかもしれないですね。

わたし、気仙沼だけじゃなく、これまで旅行で訪れた海外でも、たくさんの人に助けてもらった思い出ばかりなんですよ。だから、出会った人たちに、これからどうやって恩返ししていけるかな、って考えてるんです。もう一生、返し続けないとな、と。それはお世話になった人たちに対してでもあるし、また別の誰かに対しても、何ができるんだろうなって。

その問いが、わたしにとってのハレ舞台がなにか、っていうことにつながるかと思います。でも、これからどうやって恩返しをしていくか、答えはまだ出ていなくて。and recipeとして活動しながら、探していきたいですね。



この街に育ててもらった感性がある


取材の最後に、聞いておきたいことがあった。小池さんにとって、高円寺という街はどのような存在なんだろう。

あぁ、なんだろう…日常だった街、なんじゃないかな。毎日毎日、通ってましたからね。でも、日常の中に刺激があるのがこの街の特徴なんですよ。ライブハウスに行かなくても、よく知ってるバンドマンが商店街で買い物してたり(笑)。そういう光景って、他の街じゃなかなかないですよね。

わたしはそういう、この街独特の空気に日々触れていたので、実はめちゃくちゃ影響を受けてると思うんです。ご飯を食べて「美味しい」と感じたり、お笑いを見て「おもしろい!」と感じたり、わたしが日常のなかで些細な喜び、つまり「ケの日のハレ」を感じる感性は、この街に育ててもらったのかもしれないですね。




あとがき


新型コロナの影響がすこし落ち着いた2021年の年末のある日、代々木上原にあるand recipeのオフィスに、今回取材したみんなでお邪魔しました。小池さんが料理をつくってくれるというのです。

そこで僕らを待っていたのは、おでん。小池さんがつくるおでんは、味がしみていて、ホクホクで、酒もすすむすすむ。



コロナ禍で人と会うことができない1年だったからこそ、誰かと食卓をかこむ、こんなふうな時間は、実はすごくかけがえのないもの。ふたたび国内で感染者が増加し、また誰かと食卓を囲むことがむずかしい状況になったいま、余計にその尊さを感じます。



そんなご飯会のあと、小杉湯3代目平松佑介のもとに、小池さんからメールが。そこには、2020年1月のあの日に届いたメールと同じように、体温のある言葉が綴られていました。

「今回取材をしていただいて、平松さんや皆さんとお会いできたことで、自分の仕事について、やりたかったことについて、あらためて考える時間をいただきました。やっぱり人が集まって、そこで元気になって、またいってらっしゃいって言える場所を作ることは大きな夢のひとつなんだよなぁと。」

「銭湯も劇場も、ただいま、おかえり、いってらっしゃいって言える場所なんですよね。毎日じゃないかもしれないけれど、家以外にもうひとつ、自分の帰りたくなる場所があるっていいですよね。平松さんたちの日々作ってらっしゃる小杉湯さんのような気持ちのいい場所を、私も作っていけるように頑張ろうと思います。」

ただいま、おかえり、いってらっしゃいがある場所。みんなでおでんを囲んだあの日のような、ささやかでも、あたたかくてたのしいハレ舞台を、小池さんはこれからたくさん作っていくんだろうな。




文:山中康司
編集:友光だんご(Huuuu)
写真:篠原豪太