小杉湯

小杉湯番頭

レイソン美帆

小杉湯の番頭として働くレイソン美帆。会社勤めをしていた彼女が銭湯に出会い、その一員となり、そして今、新しい変化を前にして思うこと。

大学に入るタイミングで上京し、それから今に至るまでずっと高円寺に住んでいるというレイソン美帆。この街との出会いは、「本当にたまたま」だった。



高校生のとき、夏のオープンキャンパスに参加するために東京に行くことになったんだけど、そのときに当時仲が良かった先輩の家に泊めてもらって。その先輩が住んでいたのが高円寺だったんです。初めて降り立ったとき、いい意味で「東京」って感じがしなかったんですよね。商店街があって小さい八百屋さんとかがあって。田舎っぽさがあるというか、自分が育った街に似てるなって。

東京に抱いていた「大都会! きらきら!」というイメージとは違う。ここなら馴染めそうだと感じた彼女は、大学入学と同時に、高円寺で東京暮らしのスタートを切った。




家を探すとき、ほかの街はまったく見なかったですね。高円寺一択。家賃4万円くらいの古いアパートを借りて住み始めました。お風呂がね、「ぼっ、ぼっ、ぼばーん!」って音がするような。わかります? 体を洗うスペースも50センチくらいしかないの。

親からも「こんなボロアパートで大丈夫?」って心配されたけど、学生だからそんなにお金かけられないし、元々住む場所にそこまでこだわりもなかったから。住めればいい、大学に通って勉強できればいいって思ってました。

人生のひと休み期、銭湯に出会う


大学に通いながら、週末は高円寺のタイ料理店でアルバイト。友達と飲みに行くのも、高円寺の居酒屋。学校以外のほとんどの時間を高円寺で過ごした彼女は、大学を卒業して金融系の仕事に就き、何度かの転職を経験しながらも、ずっとこの街に住み続けた。



銭湯通いを始めたのは、社会人になって3、4年目の頃。

初めて小杉湯に来たのは、20代の中頃くらいかな。当時、朝早く始まってお昼に終わるような仕事をしていたんです。仕事が終わって家に帰って、ちょっとゆっくりしたら15時くらい。それで、「ちょっと近所の銭湯でも行こうかな」とふと思ったんですよね。

今振り返ると、当時はちょっと疲れていたというか、休みたいモードだったのかな。一生懸命働く気分でもなくて、「お金を稼ぎたい!」とかもあまりなかった。何かやりたいんだけど、何をしたいのかわからない……って、ずっとモヤモヤしている時期でしたね。




「たまたま家から一番近い銭湯が小杉湯だった」と語る彼女には、それまで銭湯に通う習慣はまったくなかった。

子どもの頃はね、銭湯が身近な存在だった時期もあったんです。父方が漁師家系で、朝漁に出たあとによく一緒にお風呂に行っていたから。漁は早朝の仕事なので、父の仕事が終わったあと、朝6時くらいかな。軽トラに乗って一緒に温泉に行って、そのあとラーメン食べて帰る……っていうのをよくやってましたね。でも、中学生くらいからはまったく。

最初に小杉湯に行ったとき、「お風呂屋さんだ! お風呂が3つもある! ジャグジーもある!」って、すごくテンション上がってました(笑)。それで、「そういえば子どもの頃、お風呂めっちゃ好きだったな」って思い出したんですよね。あったかい、懐かしい感じがしたんだろうね。



その日を境に、何かのスイッチが入ったように、銭湯に通う日々が始まった。

2日に1回くらいの間隔で通うようになりました。私、たとえば音楽とかも、「いいな」って思ったらずっと聴き続けられるタイプなんですよ。特定の好きなアイドルとかバンドは、特にいない。そのときビビッときた自分の感覚にただ従う。小杉湯も同じで、1回お風呂入ってすっきりして「ああよかった!」って思ったから次の日も行ったんだろうね。

「美帆ちゃん、小杉湯手伝ってみない?」


小杉湯に通い始めて1年くらい経った頃、ゆうすけさん(小杉湯3代目)の奥さんに「美帆ちゃん、小杉湯手伝ってみない?」って声をかけられて。昼は働いていたし、元々「ここで働きたい」と考えたことはまったくなかったんですよ。でも「手伝ってくれたら(バイト代に加えて)お風呂はタダだよ」という言葉に惹かれちゃって。当時はほぼ毎日小杉湯に来てたから、もしお風呂代が無料になったら月1万3千円くらいが浮くの(笑)。



常連さんとも仲良くなり始めた時期だったこともあり、「じゃあ週1回だけ」と小杉湯の仕事を手伝い始めた。週1日、昼から夕方までの数時間。はじめは軽い気持ちだったが、仕事にのめり込むのに時間はかからなかった。

小杉湯の仕事がどんどん楽しくなってきて、週1回が週2回になり、週3回になり……。もっと銭湯の仕事を覚えたいと思うようになりました。本業(元々やっていた仕事)をやめて本格的に小杉湯で働こうと思ったのは、手伝い始めて1年半後、30歳手前くらいかな。

洗濯したタオルを畳んだり、備品をチェックし補充したり、連絡ノートを見て仕事の改善点を考えたり、浴槽や脱衣所の掃除をしたり。銭湯の仕事は多岐に渡る。

一番楽しいのは掃除ですね。接客もすごく楽しいけど、掃除に入った瞬間がめっちゃ楽しい。きれいに掃除した箇所にお客さんが気づいてくれるとうれしいし、たまには「ここ、めっちゃきれいじゃない?」って自分からアピールしちゃいます。


“手を振れるお客さん”は、多ければ多いほどいい


偶然始めた銭湯の仕事。それが今では「楽しすぎて、昼から夜まで働いても2時間くらいしか経っていない感覚」というほど。ここまでのめり込んだ理由は何なのだろう。

会社勤めをしていた頃は、社内コミュニケーションをまったく取らない主義だったんですよ。必要以上に関わるのがいやだった。でも、それが銭湯にきて崩壊しちゃった。ただ会いたい人がいて、その人とおしゃべりするのが楽しい。人と触れ合うことで「今日も頑張ったな、楽しかったな」って思えるようになったんです。「あの人が喜ぶ顔が見たい」っていう感覚、それまでの仕事では全然なかったのに。



必要以上に関わったり踏み込んだりはしないが、ゆるいつながりを大切にするのが彼女の主義だ。「“手を振れるお客さん”が多ければ多いほどいい」と続ける。

人を選別するのが好きじゃないんです。一度出会った人とは、なんとなくでもつながっていたい。それは、お風呂に入りに来てくれる人だけが大事なわけじゃないということ。スタッフに会うためだけに立ち寄ってくれる人がいてもいいし、商店街で会ったら挨拶するだけの人とか、小杉湯の前を通ったときに「こんにちは」って言える人とか。そういう人も、お風呂に来てくれるお客さんと同じくらい大切だと思っています。



「何かをやりたいけど、何をやりたいのかがわからない」と迷った20代。小杉湯で働くうちに少しずつ自身に変化が生まれ、「やりたいこと」が見えてきたと彼女は言う。

ここで働くようになって、毎日周りの人に支えられてるなとか、みんなのおかげで私はこうして楽しく仕事できているなと思うようになりました。ささいなことが大事に思える年齢になってきたのかな。

自分のやりたいことも、ちょっとずつ整理できてきた気がするんです。そんな大それた夢や目標はないけど、田舎で家と畑を借りて、週末だけそこで暮らすような二拠点生活をしてみたいな。どこか気に入った場所でお風呂をやるのもいいなと思っています。いつかは「小杉湯“離れ”」を作って、御隠居みたいに暮らしたい(笑)





取材・文:べっくやちひろ
写真:篠原豪太

<あとがき>


ここまでの話を聞いたのが、2020年3月。それから少し経って、美帆さんに赤ちゃんが生まれるらしいという嬉しい知らせが飛び込みました。出産を控えた彼女にゆっくり話を聞くと、「正直予想外ではあったけど、今は不安は全然ない」という笑顔と共に、いい意味で想像していた通りの言葉が返ってきました。

銭湯で、みんなで育てたいなって思うんですよね。産むのは私だけど「親」は私(と夫)だけじゃなくていいと思っていて。「私が私の子を産む」んじゃなくて、「みんなの子を代表して産む」ような感覚なんです。

「母になる」という感覚はなく、子どもにとって“大勢いる大人の中の一人”くらいの存在でありたい。彼女はそう語ります。



赤ちゃんは男の子の予定だから、たとえば銭湯に入るときは仲良しの常連さんに任せて男湯に入れてもらえたら嬉しいなって思う。「そんな子育ては良くない」「無責任だ」って言う人もいると思いますし、そう感じることは間違いじゃない。

小杉湯に来て赤ちゃんと関わってくれた方が「やっぱり子どもは産みたくないな」と思ったっていいし、「子育て大変そうだな」でも「楽しそうだな」でも、どう思うのもその人の自由。私は子育てのことはまだ何もわからないけど、そういういろんな状況も全部ひっくるめて「100点!」って言いたいです。そんな風景を見られることが、私にとっても一番の幸せの印になる気がするんです。

「小杉湯で働いてなかったら、赤ちゃんは私のところには来なかったかも」。もちろん実際にそうだったかは誰にもわかりませんが、そう感じる気持ちはわかるような気がしました。小杉湯に通うことで生まれた変化は、そのまま小杉湯で働く意味として、彼女の指針になっています。



霞ヶ関で働いてた頃なんかは、みんなと同じように毎日同じ時間に同じ電車で会社に向かって…っていうのが大人のあり方だと思っていました。それに何の疑いも持っていなかった。小杉湯に通い始めて、人と話すのって幸せだなとか、毎日電車に乗ることって本当は辛かったんだなとか、自分の本当の気持ちに気づくことができた。

「幸せのお裾分け」って言うとなんかおこがましいですけど…私は小杉湯で働くことを通して、自分のそういう経験を少しでも多くの人に分けられたらいいなって思う。ただそれだけなんです。それが次の人、またその次の人…と繋がって、今より少し幸せになれる人が増えていったら嬉しいな。