一級建築士
樋口耕介、瀧翠(T/H)
樋口耕介と瀧翠。建築設計を手がけるT/Hの主宰であり、夫婦でもある2人。修繕の相談役として、また「小杉湯となり」の設計者として小杉湯に伴走することになったきっかけは、ふしぎな巡り合わせだった。
一級建築士
樋口耕介と瀧翠。建築設計を手がけるT/Hの主宰であり、夫婦でもある2人。修繕の相談役として、また「小杉湯となり」の設計者として小杉湯に伴走することになったきっかけは、ふしぎな巡り合わせだった。
樋口耕介と瀧翠。建築設計を手がけるT/Hの主宰であり、そして夫婦である2人の出会いは2009年。前職の手塚建築研究所でのこと。1年先に入社していた瀧と、その年に新卒で加わった樋口は、先輩と後輩だった。
お互いの印象は「年下の人」「年上の人」。特別な感情を抱くようになったのはいつ頃だったのか。気がつけば付き合いが始まっていて、自然な流れで結婚していた。
樋:結婚して何年か覚えてないんですよね。
瀧:アパートの更新が何回目かで「あ〜何年だね」ってわかるみたいな。
アメリカ帰りの瀧が主に海外案件を担当していたから、2人が一緒に仕事をする機会はそこまで多くなかった。それが結婚後、2人はチームで仕事をするようになる。自らも夫婦二人三脚で歩んできた手塚建築研究所の代表と同じ。樋口が退職し、T/Hを立ち上げるまでそれは続いた。
瀧も退職して、T/Hに本格的に合流したのが2017年。小杉湯との出会いもこの年だった。
間を取り持ったのは、手塚建築研究所で同僚だった塩谷歩波。かつての小杉湯の番頭であり、そして銭湯の魅力を絵で伝える「銭湯図解」を生んだイラストレーターとして活躍する彼女の紹介で、瀧と小杉湯の三代目・平松佑介が顔を合わせた。
当時の小杉湯は修繕を毎年のように行っていたが、昭和8年からの長い歴史の中で改修を繰り返してきた建物の正確な図面が失われており、そのため修繕は二代目・平松茂の頃から付き合いのある職人の脳内にある記憶に頼っていた。
しかしいつまでも彼らに頼り切りなんてわけにもいかない。でも自分は建物のことはわからない。頭を悩ませていた平松を見た塩谷が、両者を引き合わせた。
瀧:佑介さんの時も偶然そうですが、私たちに来る依頼はお悩み相談みたいに始まることが多いんです。
樋:例えば、スタイルをちゃんとしっかり持った建築家のところにはその建築のファンが頼みに来るので、お互いある程度建物のイメージができている、みたいな。でも僕らの場合は「これどうしたら良いんだろうね?」みたいな感じで話が来る。まあこれは瀧の資質だと思います。塩谷さんもよく相談していたようだし。
瀧:学生時代から聞き役ではありましたけど、まさか建築に関してもそうなるとは思っていませんでしたね。
こうして悩める三代目は相談役を得た。
正確な図面はもはや無いものとして、大工、釜屋、濾過機屋、穴倉屋など、これまで小杉湯に関わってきた職人に話を聞くことで全容を解明していく作業が始まった。この過程で国の登録有形文化財への申請の話も出ており、小杉湯は2020年8月に登録有形文化財に登録されている。
瀧:建築物としての銭湯のことはよくわからなかったんですけど、佑介さんとお話して、二代目の茂さんと一緒に他の銭湯を見に行ったりして、それで勝手に使命感を持ったんです。これは放っておくとよくないぞ、と。小杉湯の状況を知ったからにはなんとかしたいと思いまして。
樋:僕はそんな瀧から小杉湯の話を聞いて、それで佑介さんと会って話しました。そのときに小杉湯を残していきたい、銭湯の文化を作っていきたいという強い思いを受け取って。当時の僕は銭湯に入ったこともなかったんですが、これはやらなければなと思い、一から勉強したんです。
図面がなくて途方に暮れていた三代目と、銭湯を知らない建築家と、お互いに分からない同士、二人三脚で小杉湯の調査を始め、そして同時に、今に至るまでの付き合いも始まった。
小杉湯のとなりにあった風呂なしアパートを、“銭湯のあるくらし”を体験できる新しい施設「小杉湯となり」として生まれ変わらせる企画が持ちあがったのが2017年。どんな空間にしようかと話し合いが進むなか、肝心要の建築設計を託されたのがT/Hだった。
「なんか任せようと思ったんだよなぁ」という、平松の直感がきっかけだ。
平松の想像以上に瀧と樋口が小杉湯について考えていたことが直感の源で、その思考の深さと長さに「これは『となり』も2人に任せたほうが良い」と決断。もともと相談役としてT/Hに信を置いていたが、「小杉湯となり」の設計を2人に任せたことで、両者の関係はより深まっていくことになる。
平松から「小杉湯となり」の依頼を受けた2人は構想をスタートさせた。
樋:僕たちは建物を考える時、まず建主やそこを実際に使う人が普段どういう生活をしていて、この場所とどういう風に関わりあいをもっているのか、観察したり話を聞いたりします。それをもとに、この人だったらこういうことをするかな、みたいなイメージを重ねていってそれには何が必要かな、と考えるんです。ただ「となり」は用途が決まっていなかったので、考えをまとめて提案させてもらうまでに結構お時間をいただきました。なかなか難しかったですね。
のちに「小杉湯となり」の企画・運営を行う「株式会社銭湯ぐらし」もまだ形になっていない頃、2人は平松を始め関係者とあーでもない、こーでもないと話しながら、やっぱり二人三脚で構想を深めていった。たまに湯船に浸かりながら、小杉湯を行き交う人を見ながら。
畳の広がる書斎、垣根のないキッチン、いろんな美味しいが楽しめる食堂、誰かの気配が感じられる場所......。限りない可能性が開かれた「小杉湯となり」が完成したのは、塩谷を介した出会いから3年後のことだった。
「小杉湯となり」を瀧は理想的だと話す。平松や銭湯ぐらしの面々と考えてきた風景を、たくさんの人と共有できているから、と。例えばここで過ごしていると光がどの角度から入ってきて、風がどこへ抜けていくのか、「となり」の会員が敏感に反応する姿を見て、それを実感しているそうだ。
樋:小杉湯に関わったことで発見がたくさんありました。そのひとつが佑介さんの言う環境です。今、建物=モノではなく、そこで起こるコトにフォーカスが当たりがちですが、小杉湯は80年以上変わらないモノとしての小杉湯があって、その上に様々なコトが起こっているのがすごいんです。小杉湯があってそこに人が織り込まれている、と言いますか。それがいわゆる“環境”だと思うんですけど。
瀧:小杉湯にはちゃんと人の存在を感じるんですよね。塩谷さんに連れられて小杉湯に初めて来た時に感動したのが、誰かがすごく手入れしてきたことが一見してわかったことなんです。これはすごいなと思って。茂さんが実際に回って建物をよく見ているし、お掃除のおばさんが柱を磨いているのを見て「うんうん、ですよねえ」って思ったり。言葉にすると「本当?」って思われるかもしれませんが、よく使われている建物には感じるものがあるんです。
人が交わり、つながりが生まれ、それが積み重なり環境となる。小杉湯も「小杉湯という環境」の一部で、なにより使う人がいてこそ続いてきた。そして使う人がいてこそ建物を作ることができるT/H。どちらも人が先に来ている点で共通している。両者の出会いは偶然だったのか、必然だったのか。
以前、手塚建築研究所に来た塩谷を瀧は面接していて、のちに休職中の悩み相談を受けたのも瀧だった。その塩谷を見出したのが小杉湯で働きはじめてすぐだった平松で、塩谷はのちに瀧を平松と引き合わせた。小杉湯はこのような人と人のつながりで溢れている。
樋:そんな小杉湯を見たからこそ、「となり」をイメージできたところはあるよね。
瀧:そうだね。だから「となり」も、小杉湯みたいに人がいつもいる場所に“なっていく”んだと思う。
樋:僕らはその“なっていく”に並走していくつもりなんですけど、これまた勝手に使命感を持っているんだと思います。
約100年の時を積み重ねてきた小杉湯と、約1年の時を積み重ねてきた「小杉湯となり」と、そこに並走していくT/Hと。新しい100年はどうなっていくのだろう。少なくとも、図面が失われることはもうなさそうだ。
取材・文:Yuuki Honda
写真:田野英知
編集:べっくやちひろ